大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 平成8年(合わ)384号 判決

主文

被告人を懲役三年に処する。

この裁判確定の日から五年間刑の執行を猶予する。

理由

【犯罪事実】

被告人は、東京都渋谷区《番地略》所在の甲野ビル五〇三号室において、夫A及び長女B子(平成三年一月二二日生)と暮らしていたものであるが、一年ほど前から次第にAの態度が冷たくなっていくのを感じて思い悩んでいたところ、平成八年一〇月初めころ、Aから、借金返済のために別居してほしいなどと言われたことに強い衝撃を受け、これまでのAの言動等ともあいまって、Aの被告人や長女に対する愛情が失われたものと思い込んで失望し、同月一三日、Aと別れて暮らすことを一度は決心したものの、Aに対する憤りとAとの生活への未練が交錯する中、別居後の郷里北海道での生活や先天性の障害を持つB子の養育の不安などが頭をよぎり、その深夜から翌一四日未明にかけて、眠れずに一人であれこれ思いをめぐらすうち、次第に思い詰めて自暴自棄となり、深い絶望感に陥り、このまま悩み苦しむより死んでしまおうなどと考えるようになった。そして、被告人は、自分の死んだ後のB子の将来を悲観して、自分がいなければ残されたB子は幸せになれないと考え、B子を殺害の上自殺しようと決意し、同日未明、前記被告人方において、殺意をもって、眠っていたB子の頚部にスカーフを巻き付け、両手でその両端を強く引っ張って締め付け、よって、そのころその場で、B子を頚部圧迫により窒息死させて殺害した。

【証拠】 《略》

【法令の適用】

1  罰条 刑法一九九条

2  刑種の選択 有期懲役刑を選択

3  刑の執行猶予 同法二五条一項

4  訴訟費用の処理 刑訴法一八一条一項ただし書(負担させない)

【量刑の理由】

一  本件に至る経緯等

被告人は、北海道の高校を卒業後、上京し、通学していた調理師専門学校で同級生のAと知り合い、昭和六〇年八月同人と結婚し、平成三年一月B子をもうけた。B子は、生まれつき軟口蓋裂、伝音声難聴の障害を有しており、平成四年に身体障害者六級(病名伝音声難聴)の認定を受け、継続的に病院や福祉センター等へ通っていたが、Aは、調理師としての仕事の関係などからB子の育児についてはほぼ全面的に被告人の手に委ねていた。被告人は、平成六年、B子を保育園に入園させた上近くの幼稚園の難聴言語障害児学級に通わせ、毎日欠かさずにその送り迎えをするなどして献身的に養育に当たり、その傍らで、近所の広告関係の会社にもパートの事務員として勤務するようになった。

Aは、結婚後、毎月の給料の全額を生活費として被告人に渡していたが、被告人に隠れて、競馬やパチンコのためにサラ金等から借金を重ね、平成七年後半からは、被告人との性格の相違などもあって、次第に被告人を疎んじるようになり、B子の育児についても一層被告人に任せきりとなっていった。平成八年に入ると、Aの右借金が被告人の知るところとなり、同年九月中旬ころには、Aがその妹のキャッシュカードを無断で使用して金を借りていたことが発覚するなどして、しばしばAと口論となり、被告人は、Aが連日のように酒を飲んでは帰宅時間が遅くなるばかりか、以前のようにB子を可愛がらなくなったようにも感じられ、自分に対してのみならず二人の絆のB子に対してもAの愛情が薄れてきたように思えて悩みを深めていた。そして、同年一〇月初めころ、AがB子の保育園の運動会へ遅刻して、B子の演技を見ることができなかった上、「お前に言われたから来たんだ。」などと言ったため、AのB子に対する愛情が失せてきたことを改めて感じ、強いショックを受けた。

そうした折の同月七日ころ、被告人は、Aから、既に総額約三〇〇万円にも上っていた借金を返済するため、被告人がB子と共に北海道の実家に帰り、自分とは別居して暮らして欲しいなどと言われた。被告人は、幼いころ両親が離婚し、母一人に育てられたことなどもあって、家族は一緒に暮らさなければならないとの思いが強く、家族三人の生活を続けながら借金を返済していく方法を提案するなど、別居することには強硬に反対したが、Aは譲らなかった。

被告人は、同月一三日朝にも、Aと話し合ったが、Aの別居の意思が依然として固く、投げやりな返事をするAの態度に憤りと失望を覚え、離婚することも含め、今までと同様の生活を続けることはできないとも思うに至った。そこで、被告人は、別居する前に、B子のためにせめて楽しい思い出を作ってやりたいと考え、Aに対し、「分かったから今日は仕事を休んで。最後に一緒にディズニーランドに行きましょう。」などと頼んで、B子が以前からあこがれていた夜のパレードを見るため、同日夕方、三人で東京ディズニーランドに出かけ、閉園までいて、同日午後一一時三〇分ころ帰宅した。

被告人は、帰宅後、B子を六畳間の布団に寝かしつけ、未だ踏ん切りのつかない気持ちを整理するため、今後の生活についてAと今一度よく話し合いたいと考えたが、Aが先に寝入ってしまい、憤りを覚えるとともに改めてAに突き放されたように感じた。被告人は、これまでのAの態度や言動を思い返すにつけ、もはやAには被告人らへの愛情がないことを確信し、自己の思いが裏切られた絶望感とAに対する強い憎しみ、一方でなお同居生活への未練などが入り交じる中、Aの支えを失った後の生活の経済的基盤や障害を持つB子の教育問題などの不安が頭をよぎり、深夜あれこれと一人思い悩むうち、考えがまとまらないまま次第に思い詰めて自暴自棄となり、ついに、このまま悩み苦しみ続けるよりは死んでしまおうと考えるに至った。また、自分がいなければ残されたB子は幸せになれないなどと、自分の死後のB子の行く末を悲観し、B子を一人で置いていくわけにはいかないとの思いから、B子を道連れに自殺すること決意し、同月一四日未明ころ、タンスの中からスカーフを取り出し、うつぶせの姿勢で眠っていたB子の首にこれを巻き付け、「ごめんね、ママと一緒にいこう。」などとつぶやきながら、両手でその両端を左右に力一杯引っ張って判示の犯行に及んだ。そして、被告人は、B子の死亡を確認してその身体の姿勢を整え、前日買ってきたばかりのB子の好きなミッキーマウスの人形を横に置いて布団をかけ直すなどした後、直ちに二箱分の痛み止めの薬を酒で一気に飲み干し、剃刀で自己の両手首と首筋を切って自殺を図ったが、同日朝、事態に気付いたAの通報により、救急車で搬送されて応急処置を受けたため、一命をとりとめた。

二  量刑において特に考慮した事情

本件は、夫婦関係の破綻を背景として、自己の将来を悲観して絶望した被告人が、長女を道連れに無理心中を図り、長女を絞殺したという事案である。被告人は、深夜一人で思い詰め、短時間のうちに、結局は自己の苦しみから逃れるために衝動的に自殺を企図し、自分がいなければ被害者は幸せになれないなどと決めつけ、幼い生命を葬り去ったものであって、我が子とはいえ被害者の人格や意思を無視した誠に身勝手で短絡的な犯行である。被害者は、ディズニーランドでの楽しかった一日を終えて眠りについていたところ、最も信頼していたはずの被告人の手により、何一言言えぬまま突然生命を絶たれたのであって、その驚きと悲しみはまさに想像を超えるものがあり、夫や母らの被った精神的な衝撃や苦痛にも甚大なものがある。被告人の刑事責任は重大であると言わざるを得ない。

しかしながら、他方において、被告人が本件犯行に至った原因については、夫のこれまでの言動や態度に、被告人に対する配慮を欠いた面があったことは否定できず、夫の側にも責められるべき点があり、悩みを誰にも打ち明けられず、一人思い悩んだ末の衝動的な犯行であると認められること、被告人は、これまで懸命に家族を支え、被害者には人一倍の並々ならぬ愛情を注いできたものであり、軽率にも無理心中という最悪の道を選択し、自らも重傷を負い、もはや取り返しのつかない結果を生じさせた自らの非を今では深く反省悔悟し、今後は、被害者の冥福を祈り、自らの手で被害者の供養を尽くしながら生きていきたい旨真情を述べていること、もちろん前科前歴はなく、母や勤務先の上司も今後の監督を誓っていることなど、被告人のために有利に斟酌すべき事情も少なからず存するところである。

そこで、以上の諸事情を総合考慮し、被告人に対し、主文の刑を量定し、今回に限り特に刑の執行を猶予するのが相当であると判断した。

(検察官 平山竜徹 国選弁護人 池田計彦各公判出席、求刑--懲役五年)

(裁判長裁判官 大谷剛彦 裁判官 原田保孝 裁判官 神田大助)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例